私が生まれ育ったここ京丹後の地は、日本海に面する田舎まちです。海が身近にあるために、昔から塩害対策として杉板貼りの家が多く建てられ、今でもそんな街並みが残っています。
また田舎ならではの慣習で、冠婚葬祭を自宅で行うことはほぼ当たり前とされていましたので、親せきやご近所さんが集うことを想定していつでも大広間にできるようにと田の字の間取りの家が多く存在します。南面には広い縁側があり、ここぞとばかりに日当たりがのぞめるように大きな掃出し窓が並んでいる家を子供のころから当たり前のように見てきました。
そしてかくゆう私も、大工であった父親が建てたそういう家で生まれ育ちました。いま思い返せば、幼いころ子供ながらに自分の家で自然といろいろなことを考え、工夫したりして過ごしてきたなあと感じています。
中でも印象に残っているのは、夏休みの宿題は早く起きて朝8時までにあっちもこっちも窓を開けてする!という習慣。これは母から教えてもらいました。夏は8時を過ぎると気温が上がって汗がでるから、早く起きて両方の窓を開けて気持ちのいい風が入ってくるうちに宿題をしたほうがいい!という教えです。
この「両方の窓」というのは当時は言われるがまま開けていましたが、今思えば南北の対面の窓のことで、そこからはとても心地の良い風が家の中を通り抜けていたことを鮮明に思い出します。
私は今住宅の設計をするときに、必ず南北の風とおしはもちろん東西の風通しまでをしっかりと考えて窓の計画をさせて頂いております。その大きな理由は、私があの時感じた「風」が今でも思い出せるほどに心地の良いものだったからです。家の中にいてもこんなに気持ちよさを感じられるんだ!という記憶が刷り込まれているのだと思います。誤解を恐れずゆうならば、窓をやめて壁にすることで断熱性能をあげようという思想よりもウェイトをかけています。
また幼いころの我が家での冬の思い出もあります。田舎にある昔ながらの家ですから、家の規模はやたらでかいし、土壁の家なので非断熱住宅に等しくなかなかに寒い家でした・・・。でもある時、家の中で一番暖かい場所ってどこだろう?そんな発想がでて、家中を探検してまわりました。
そしてわかった一番暖かい場所は、大きな掃出し窓がずらりと並んだ広縁(縁側)だったのです。その日は12月でしたが、朝から太陽がでていて、南面に面した広縁には朝から日差しがあたっていました。そのおかげでほかほかに暖められた床に頬をすりつけて、ああ、あったかいなあ、気持ちがいいなあと寝ころんでいたこともよく覚えています。
子供ながらに五感で感じたそんな経験からか、メインとなるLDKにはそんな日差しが入ってほしいなあと思いをこめて私はできるだけ大きな窓を設計するようにしています。そういう窓を設けると、断熱性能が少し落ちることはもちろん知っています。でも、私としてはやはり性能数値よりも風や光といった自然を感じられる空間であることに価値を感じています。
せっかくこんな素敵な自然が近くにあって、都会のように密接に家を並べる必要もない京丹後において、断熱や気密を確保するだけに窓を小さくしたり、風の通らない間取りを計画してしまうのはあまりにももったいない!そんなふうに私は強く思います。あからさまにそういった性能を無視するというわけではありません。必要なだけの性能は絶対に担保すべきだと思います。でも、過剰にしてしまうのは違うんじゃないか!そんな感覚です。
海が身近にあるのは京丹後だけではないですが、せっかく身近にあるのだから、海風あるいは山からの吹きおろしの風なんかを生活に取り込んで暮らしをするのも気持ちのいいものだと思います。幼少期の私の家はとにかく大きな田の字の家で冬は寒い家でしたが、ほっとできる居場所がありました。また、家にいて光や風を感じながら住むということの心地よさを経験してきました。
いま私たち住まいのトミタの設計思想の根底に、こうした「自然と住む」というものがあるのは、私のそんな思いや感覚が強いからなのだと改めて感じております。その設計思想をこれからも大事にしながら、現代の建築のいいところは取り入れてつつ、ほっとできるような空間提案をさせて頂けたらと考えております。